私たちはどうして生まれてきたの?
皆さん、こんにちは!juuです♪
本日は鑑定中によく聞かれる質問で
「私の前世は何ですか?」とか
「私の生まれた使命ってあるんですか?」
なんて質問があるんですね。
確かに、私たちは魂があって、肉体があって、一つの生命体として存在しているわけですが、魂って一緒なのかな?とか何かするために生まれてきたのかな?なんて疑問に思いますよね。
本日はそのことについて、juuの考えること、持論を書いていきたいと思います。
目次
私たちはどこから来たのか・・・?
そもそも、私たちはどこから来たのでしょうか?
生物学的に言うと母親から生まれてきました。
父と母の材料を使って新しく体ができて、そこに心や魂が新しく宿るはずですよね。
でも、不思議なことに
私たちの中には、前世の記憶を持つ人、生まれる前の記憶がある人、上の世界の記憶がある人が存在します。
ってことはですよ、人の魂は記憶とともにどこかに存在していて、新しく生命が生まれる際に魂が入り込むのでは?という仮説が立てられるわけです。
そう考えると、前記の「前の」記憶がある人の話もうなずけますよね。
ここからは私の持論ですが
魂は輪廻転生すると考えています。肉体には限りがありますから、
生を受ける=必ず死ぬ
このことは私たちに絶対的に決められていることなんですね。
肉体を持つということは、死ぬと言うことの選択をしたということになるのです。
それでは肉体を持つ前、私たちはどうしているのでしょうか?
それは上の世界というか、ここではない次元というか・・・そういう場所があるのですが、
古事記には「高天の原」という場所が出てきます。この場所は神様がいらっしゃる場所なので「天」という字を使う「天国」もなんとなくおこがましい感じがします。
今回は仮に「上の世界」と呼ぶことにします。
私たちの魂は「上の世界」から来たと考えています。
上の世界とは・・・?
それでは、上の世界って何だろう?って疑問が出てきますよね。
よく、天国と地獄の話を聞きますよね。天国と地獄は仏教の思想です。
地獄と言えば、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らして、地獄から罪人を救おうとする芥川龍之介著の蜘蛛の糸に出てくる血の池や針山が有名です。
出来れば、地獄には行きたくないなーって皆さん思っていると思います。
私は地獄みたいなものも上の世界にあると思っています。
上の世界とは、魂の住処だと私は捉えています。
魂にはレベルがあります。そのレベルを決めるのは自分自身なのですが、レベルを上げるのも下げるのも現世でやっていることでしか変動させることができないとされています。
つまり、この世での行いが上の世界での住処を決めるということです。
レベルによって住処が決まり、レベルによって自由度も変わってきます。
上位のレベルに行けば、他のレベルとの交流もできるし、生まれ変わる条件もある程度選べると言うことです。
生まれ変わる条件に「守護霊」なんかを選択できるようになるわけです。
上の世界では、欲をコントロールできれば、姿を変えられるし、下の世界を観察することもできます。
食べたいと思ったらものが出てきて、行きたいと思えばその場所に行くことができるのです。
最高じゃないですか?
魂のレベルが高ければ高いほど快適です。
記憶はどうなるの・・・?
さて、それでは
前世の記憶がある気がするとか、前にもこの場所来たことがある気がするとか、何度も同じ場所を夢に見る。なんて人もいるのではないでしょうか?
もしくは、前世で悪いことしたから、今の私が不幸なのでは・・・?なんて考えたことがある人もいるのではないでしょうか?
私たちは自分の記憶についてしばしば、考えてますよね。それはなぜでしょう
やっぱり前世から魂を引き継いでいるから?
この世の苦しみから逃れるため?
どちらの解も正解だと思います。
魂は記憶を持っています。
そして、この世は苦しいのです。その苦しみから逃れるために、人は責任を自分の管理できない何かに転嫁したがるのです。
先ほども出てきた、上の世界。そこにいる時間が長ければ長いほど魂は前世のことを忘れます。正しくは浄化されるのでしょう。つまり、上の世界にいる時間が短い人が記憶を多く持っている可能性があります。
長くいる人と短い人の違いは何でしょうか?
長くいる人はやっぱり魂のレベルが高い人でしょう。自由度も高く、姿も変えられるし、話し相手にも困りません。下の世界を観察して学ぶこともあるでしょう。その生活にも飽きて、肉体を持ち、不自由で苦しい現世に降りてくるのですから、目的としては次の魂のレベルにあげるべく、計画的に打ち合わせをして、多くの人を救うシナリオで降りてきます。お付きの「守護霊」連れて。
短い人は、前回の肉体が突然死を迎えた、親の虐待を受けて死んだ、などのケースがあげられます。前回の肉体のせいで行いを果たせなかった人は、後悔もあるでしょう。魂がしっかりしていても肉体の死は避けられませんから、もう一度やり直すと考えて不自然ではありません。
虐待されて死を迎える子供・・・何のために生まれてきたのか。悲しいニュースを聞くたびに胸がきしみます。でも、親からしたらどうでしょう。自分への憎しみを自分の足りないところを愛情とはき違えて、小さな子供に向けるのです。魂のレベルは低いと思われますよね。
子供の死を受けて、苦しみはさらに増すでしょう。誰にも理解されず、慰めの言葉をかける人もいないでしょう。そこで、どれだけ業を積むかです。そこで、子供の命に代えて、思考を繰り返し魂を強化することができれば、上の世界で認められるかもしれません。
虐待される側に試されていると考えられます。人として、優しさと尊厳を持てるように。
だからこそ、次の肉体は元気で楽しくあることを祈り、神様も早々に送り出すことでしょう。
どうして生まれてきたの?
私たちの使命は1つは子孫を増やすことです。
神様も思想も人の中でしか育ちません。
人がいなくなれば全て終わるのです。
私たちは、子供がいる人も子供がいない人も子供を守ることが第一の使命です。
そして、その子供が安心して子孫繁栄できる地盤を確保するのが使命であり仕事なのです。
あとは自分のために生まれてきました。
ひとりの中に2人以上の人格を持ってコミュニケーションを成立させたり、ひとりで繁殖したりできませんよね。
つまりひとりでは何も果たせないのです。自分という領域を確保しながら、周りと上手くやること。その中で笑顔を生み、新しい感情を発見し、愛し、憎しみ、思考し、許しを繰り返すのです。
その中で、人を救い、たくさんの愛を確保し、魂を成熟させていくことが私たちの使命です。
簡単なようで簡単ではなく。終わりがあるようで終わりのない世界。これが現世だと考えています。
最後に・・・
皆さん、いかがだったでしょうか?
自分の生まれた意味、前世。魂の繋がり。
何となく想像がついて、自分の中で整理整頓ができたらうれしいです。
上手く文章にできませんが、これからもjuuの持論を展開していこうと思います。
こんなこと書いてほしい、これについてどう思う?ってことをコメント欄で教えてくださいね。
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